1985年に名古屋大学医学部を卒業後、名古屋大学形成外科教室に入局しました。
アメリカでの研修
1987年、私はアメリカミネソタ州のロチェスターにあるMayo Clinicの形成外科に留学しました。 そこでは当時、形成外科の世界的権威であった Dr. Ian T. Jacksonのもとで、2年間、Dr. Jacksonが得意とする頭蓋顔面外科と3次元CTを用いた手術シミュレーションについての研究チームの一員となり、コンピューターシミュレーションの臨床応用を発展に貢献することができました。
1989年にDr. JacksonがMayo Clinicからミシガン州サウスフィールドに移ってInstitute for Craniofacial and Reconstructive Surgeryを開設することになったため、Dr. Jacksonと共に移籍しました。 1年間、Institute for Craniofacial and Reconstructive Surgeryにおいて、3次元CTを用いた手術シミュレーションを使ってDr. Jacksonの手がける顔面変形の手術治療を補助することになりました。
Mayo Clinicから合わせて3年間、コンピュターシミュレーションを使って顔面を修正する手術計画をその道で世界的権威といわれるDr. Jacksonと検討できた経験は治療計画をたてる際の論理を学ぶことができ、今日美容外科をするに当たって貴重な財産となっています。
その後、アメリカの医師免許を取得してProvidence Hospitalにて外科のレジデントを始めました。アメリカの外科研修は手術件数が圧倒的に多く、テレビドラマ『ER』さながらのハードなものでした。
形成外科から美容外科へ
1992年の暮れに帰国し、名古屋大学学の形成外科で2年間形成外科の研修を行いました。この時も大口春雄先生とは名古屋大学学病院で一緒に働きました。夜中まで頭頸部や頭蓋底外科の再建を二人でやったものです。また、基礎実験棟で昼夜の区別無く研究をして、二人とも医学博士の学位をもらうことができました。
1995年には小牧市民病院の形成外科部長に就任しました。尾張地区の中核病院として発展した小牧市民病院は、来院患者数が非常に多く、重症熱傷の治療や頭頸部再建や外傷の再建や切断指の再接着と様々な形成外科の疾患の治療に当たりました。
そういった診療に携わると同時に、形成外科の一分野とも言える美容外科に興味があり、名古屋大学形成外科教室の先輩である並木先生から高須クリニックの高須克也先生を紹介して頂きました。
そこで、週末には高須克也先生から日本の美容外科を一から学ぶことになりました。高須克也先生のご指導ご鞭撻には大変感謝しております。
2000年には,元ヴェリテクリニック総院長の中西雄二先生にコムロ美容外科の小室好一先生を紹介して頂き、コムロ美容外科の診療に参加することになりました。コムロ美容外科は、麻酔医のサポート体制が万全で、東京・名古屋・大阪の各クリニックで全身麻酔を必要とする大きな手術を行うことができました。
2001年には小牧市民病院を退職して、愛知医科大学形成外科の講師に就任しました。愛知医科大学形成外科は青山教授のレーザーを使ったあざの治療を得意としておりました。青山教授と相談して、愛知医科大学内に美容外科外来を開設し、あざに加えてシミの治療を本格的に始めることになったわけです。
シミの治用にはレーザーだけではなく、トレチノインの外用療法が欠かせません。当時、東海地区でトレチノインをいち早く取り入れていた大口春雄先生を愛知医科大学に非常勤指導医として招き入れ、私と大口先生の二人で美容外科外来を担当しました。しかし、大学内では手術室や麻酔科の協力を得るのがなかなか容易ではなく、美容外科の手術治療がままなりませんでした。そこで、2004年に愛知医科大学を退職し、ヴェリテクリニックを開院することにしました。